
日本精神分析学会第1回大会(前列中央:古沢平作博士、後列左二人目:木田恵子氏)
古沢平作博士は東北大学医学部精神科助教授のころ、フロイドのもとで精神分析学の研鑽をつまれるために、文部省留学生として昭和6年暮にウィーンの地を踏まれました。
そのときの東北大学精神科の教授は丸井清泰博士です。丸井教授は米国で精神分析を学ばれ、日本の大学ではじめて精神分析学の講座を開かれた先生です。 精神分析を学ぶために自らが患者になって分析を受けることを教育分析といいます。
古沢博士はフロイドの教育分析を受けたいと熱心に希望され、渡欧前にフロイドと手紙の往復をしており、フロイドは「東洋に君のように熱心な精神分析の研究者がいることを非常に喜ばしく思い、君の勉学のために無料で分析をしてあげたい気持ちだが、現在フトイド基金で無料の心理療養所を経営しているため金が必要なので無料にすることができないから半額にしてあげよう」ということを言っています。
しかし、半額でも毎日の自由連想法を受けるには、昭和6年の当時の円で6千円は用意しなければならないので、フロイドの分析を断念せざるをえなかったときいています。
そこで、フロイドは、ウィルヘルム・ライヒの高弟であるリヒアルト・ステルバ博士に教育分析を、老年のフロイドにかわってウィーン精神分析学会会長の席にあるパウル・フェーデルン博士に上位指導を受けられるように手配されました。
フェーデルン博士は、神経症の治療と解明に生涯をかけたフロイドのあとをつぎ、さらに一歩をすすめて精神病の分析的理解を深める研究をした人です。
たまたま古沢博士は渡欧前に有名な「アジャセ・コンプレックス」を論じた「罪悪意識の二種」なる論文を発表され、この中で問題は母の胎内からはじまることを説いて、母の心理と子供の運命のかかわありに注目しておられましたが、フェーデルン博士の研究も、精神病をとうして、人生の初期の母子二者関係を重視するものでした。
この一致はおそらく偶然の幸せであったと私は考えますのは、フロイドに「罪悪意識の二種」を提出したのが留学半年後の夏休みであって、渡欧前に古沢博士の考えをフロイドが承知していたとは思えないからです。
この留学によって、古沢博士の「母乳のような無償の愛」への思索はいっそう深まり、それは自身の内なる母なるものの昇華として、あとにつづく者への教育への献身に実現されていったといえます。
そのことは博士が弟子たちの育成と発展に心をくだかれ、日本精神分析界の中心になる諸先生方の父であり母であることの悦びに終始して、御自身の名声にはあまり関心をしめされなかったことでもわかります。
「その時子供はどう思うか」木田恵子著 彩古書房 より
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